~場面緘黙症だった管理人~ 高校生時代の体験談

場面緘黙症だった管理人の体験談

憧れの女子高生

 

中学を卒業する頃から、「絶対に変わってやる」と私は意気込んでいました。

私は地元から少し離れた高校へ入学が決まったため、自分の事を知っている人がほぼ居ないという環境へ変わることにワクワクしていたし、まず女子高生になる事が楽しみでした。

 

 

懸命にコミュニケーションを取ろうとする

私は入学当時、何とか場面緘黙症の症状を周囲に見せないように振舞っていました。

今までとは違う、みんなと話せる自分になりたくて、クラスのみんなとコミュニケーションを取ろうと必死でした。

結果は、仲良しグループの中ではリラックスしてコミュニケーションを取れる状態になりました。

急には変われないもので、やっぱり誰とでも気軽に話せる訳ではありませんでしたが、中学の時よりは表情豊かになっていたと思います。

 

 

部活に入るか入らないか

部活については中学の時に本当に苦労しているので、出来れば帰宅部で。と思っていました。

しかし、親からは「何かやった方がいいでしょ」と言われ、担任の先生には「大学に行く可能性を考えたら部活に入った方が有利だ」と言われたので、仕方なく入部することにしました。

活動頻度の高くない、ボランティア部に入りました。

部員数も少なく、先輩もみんな優しくて、いじめとは無縁そうだったので安心しました。

 

 

目上の人に気を遣って話せない

中学の時もそうだったのかもしれませんが、先輩とコミュニケーションを取るとなると、何を話して良いのか分からなくなってしまい、場面緘黙症の症状がよく出ていたと思います。

こんな事を言ったら失礼だとか嫌われるんじゃないかとか、同級生に対してもそうですが、目上の人には特別気を遣っていました。

先輩からは「何でも話して良いんだよ~」と言われますが、空気を読みすぎて、上手くコミュニケーションを取れない事もしばしばありました。

思った事を何でも話せる友達が、すごく羨ましかった事を覚えています。

 

 

協調性のある従順な子

小さい頃からですが、私はかなり協調性がある子でした。

人から頼まれた事は滅多に断ることもありませんし、従順です。

小・中学生の頃のいじめの事を思うと、人と対立したくない、穏便に物事を進めたいと考えていました。

自分の気持ちとは違っても、「この子は私にこれを引き受けて欲しいんだな」と相手の気持ちを読み、わざと「私これやるから」と言って引き受けることもありました。

波風立てず、とにかく穏便に済ませるのが一番と思っていました。

 

 

自分の意見が分からない

ある人に、「Aだと思う」と言われると、「そうだよね~」と言い、またある人に「Bだと思う」と言われても「それも分かる~」と同調します。

「で、結局あなたの意見はA・Bどっちなの?」と言われて困るという現象が起こります。

私からしたらどちらの人の意見も大事で、どっちかの味方になるみたいな事が出来なくて、フワフワとしていました。

空気を読みすぎているような、協調性があると言うような、そんな事が時々ありました。

 

 

友人のライブを観て感化される

高校3年生の頃、友人がバンドを組みボーカルをしていたのですが、ライブをすることになり招待されました。

もともと音楽が大好きだった私は、これだと思ってしまうのです。

こうやって好きな事で人前に出たら、もっと上手く人と話せるようになるかもしれない、私もやってみたいと、とても前向きな気持ちでした。

場面緘黙症の症状を治せるかもしれない期待とワクワクでいっぱいでした。

 

 

充実した高校生活

なんだかんだで場面緘黙症の症状は治りませんでしたが、何でも話せる友人も出来て、楽しく通うことができました。

みんなとコミュニケーションを上手く取ろうとチャレンジして失敗もしましたが、それはそれで勉強にもなったと思っています。

 

 

 

場面緘黙症で辛い思いをしている方へ

私自身、場面緘黙症で傷付いたり辛い思いを沢山してきました。

ですが、自分の心にあるマイナスの感情を手放したり心を癒すことを学び、どんどん生きやすくなってきました。

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