場面緘黙症を抱えながら社会人になる
私は当時、小学校の先生になる夢を諦め、就職先をどうするか悩みました。
他にやりたい事もないし、やりたい仕事が何なのか分からなかったからです。
親からは、とにかくきちんとした会社を選びなさいと言われ、“きちんとした会社“ に疑問を持ちながら、とりあえず色々と面接を受けました。
面接でアドリブがきかない
短大を卒業したら就職するしかない、と思い込んでいた当時の私は、求人を見て良さそうな会社があると面接を受けていきました。
この面接というのは、【知らない人と】【初めての場所で】【受け答えをしなければならない】という事になるので、やっぱり場面緘黙症の症状がありました。
練習もしたし、答えを用意している事なら話せましたが、考えていなかった事を聞かれると、適当に答えることも出来なくて固まってしまうこともありました。
1対1ならまだ良いのですが、相手が2人の場合はかなり緊張します。
固まる私に、面接官の方が気を遣って、質問の仕方を変えてくれたりもしました。
面接はただでさえ緊張する場面なので、場面緘黙症の症状は出やすい所かと思います。
合格した職場を親に反対される
一番候補だった、学童保育所の面接に受かりましたが、親から「待遇が悪すぎるから断りなさい」と言われてしまいしました。
子供と関わる仕事が良いかと思っていましたが、ここまで学費を払ってくれた両親の反対を押し切ってまでは働けないと思って断る決断をします。
私は既に返事をしてしまっていたので、後で断りの連絡をしたことで怒られ、短大の担任の先生と一緒に謝りに行くという事態を招いてしましました。
後で考えると、そこまで怒る事なのだろうかとも思えますが、当時は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
他人から怒られるという事も、私は感受性が強すぎて委縮してしまうので、場面緘黙症の症状が出る引き金でもありました。
無難な事務職に就く
待遇が良くてかつ、やりたいと思える求人はなかなか無くて、結局私は無難な事務の仕事をすることにしました。
待遇面、家からの距離、親の反応を総合的に見て、これならまぁ良いかなと思った会社だったからです。
この時は、就職なんて妥協して当たり前だと思っていた頃でした。
初めての会社員
初めて入社した会社で心配だったのが、人間関係のことです。
同期が1人居て、気さくに話しかけてくれる人だったので仲良くなれたのは良かったのですが、問題は上司でした。
私の直属の上司が無責任な人で、扱いにとても困っていました。(他の社員たちも困っていましたが…)
自分のミスを私に擦り付けてきたり、言っていることはころころ変わるしで、早い段階でこの仕事に違和感を感じる様になっていました。
残業続きで体調を崩す
場面緘黙症の事もあり何も言えず、むしろ上司に意見を言うなんてダメだと思い込んでいたので、ストレスを溜め込んでしまいました。
目上の人の言う事は聞かなきゃいけないとか、とにかく周りの社員にも気を遣ってばかりでした。
ちょっと意見を言いたくても、上司を前にすると場面緘黙症の症状で言えなくなることもありました。
その上、毎日2~3時間の残業が当たり前になっていて、疲れていたのかもしれません。
ご飯を食べると毎回胃が痛くなり、あまり食べられない時期があり辛かったのを覚えています。
症状は1ヵ月位で治りましたが、今度は肌荒れが酷くなり、私はなんでこの仕事しているんだろうと思うようになりました。
2年しか? 2年も?
自分の中で、上司との兼ね合いが上手くいかない事が辛くなり、事務の仕事は2年で辞めました。
辞める時、「よくこの人の下で2年も続いたね!みんなもっと早く辞めてるよ、よく我慢したね。あなたは何処に行っても通用するから大丈夫よ!」と言ってくれた人がいます。
2年で辞めるなんて早いなぁと自分では思っていたので、ちょっと驚きましたが、こんな私をちゃんと見てくれていたんだと思うと嬉しくて、涙が出ました。
その人の言ってくれた言葉がとても自信につながり、次の職場でも頑張ろうという気持ちになれました。
場面緘黙症で辛い思いをしている方へ
私自身、場面緘黙症で傷付いたり辛い思いを沢山してきました。
ですが、自分の心にあるマイナスの感情を手放したり心を癒すことを学び、どんどん生きやすくなってきました。
今では物事の考え方も変わり、何事もプラスでもマイナスでもなくニュートラルに捉えられるようになっています!
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